地元の本屋が潰れたらしい。わたしが7歳くらいの頃にできたそれなりに大きなツタヤなんだけれど、初めは本とゲームとレンタルDVDだけのスタンダードな店舗だった。わたしが中学生になった頃、タリーズができた。そこのタリーズで高校生の頃友達と勉強をして、参考書を見て帰ったりした。大学生になり帰省して訪れると、かなり様変わりしていた。レンタルDVDはなくなり、本も少なくなり、代わりに雑貨のコーナーが多くなった。雑貨といっても、特に読書とは関係のない洗剤などの生活雑貨である。化粧品などもおいてあった。
潰れたという情報は母親から聞いた。なんでもその直前にはタリーズもなくなっていたらしい。多くの同級生がそこのタリーズに行っていたような気がするのだけれど、最近は誰も行っていなかったのだろうか。とにかく、そのツタヤで映画を借りて友達の家でいっしょに観たりとか、地方都市の片隅で流行を知るべく雑誌の新刊を買ったりとか、入試の過去問を買ったりとか、そういう思い出がけっこうあったので、残念だった。
大学で東京に出てからはよく新宿の紀伊国屋書店に行った。映画を観た帰りなどによく寄った。気になっていた小説を少し読んでみたり、授業で出た哲学書を買いに行ったり、旅行書を色々眺めて次に行ってみたい場所を探してみたり、新刊の歌集の実物を見に行ってみたりしていたが、特に買う本を決めなくてもそこでの出会いを楽しんでいた。そこにあったのはほとんど全てが知らない作家、読んだことのない本であった。また、自分とはおよそ縁のない医学書のコーナーや諸国の言語の本を眺めるのも面白かった。それを買い求めにやってきている人がいることの嬉しさも含めて。
田舎で本が売れていないのかもしれない。経営していくためには雑貨などを置いて、需要の少ない本は売り場から削っていく必要があると思う。でも、ツタヤの近隣には百均やドラッグストアもあったのだ。ツタヤに置いてある雑貨の中で、そこでなければ買えないものはなかった。
地元の人にもっと本を買ってほしいということが言いたいわけじゃない。なんというか、仕方のないことだといえ、元々本屋だったものが、その売り場を割いてさえ、本以外のものを売らないとやっていけなくなってしまうということがさみしかったんだ。世の中のあらゆるものが時間の流れに応じて形を変える必要があるとしても、このような時間の流れは残酷なように感じた。